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東京高等裁判所 昭和50年(ツ)85号 判決

上告人

有限会社伊藤たつ

右代表者

伊藤たつ

右訴訟代理人

遠藤正敏

被上告人

穆邦栄

右訴訟代理人

田辺尚

外一名

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告人訴訟代理人は原判決を破棄し相当の裁判を求めるというのであり、その理由は別紙のとおりである。

第一点について

原審の適法に確定した事実によると、被上告人が原判決目録記載建物のA部分(以下本件建物A部分という)で中華料理店を経営し適法に占有していたところ、上告人が昭和四五年一〇月末ころ無断で本件建物A部分の外壁に高さ約二メートル幅約三〇センチメートルの上告人経営の中華料理店名を記載した看板(代金九万五、〇〇〇円)を取付け、被上告人の右建物占有を妨害していること、右看板取付作業は看板業者が職人二人とともに三時間位で完了し、その費用は九万五、〇〇〇円であるというのである。

民法二〇一条が工事により占有を妨害せられた場合における占有保持の訴の提起期間を工事着手後一年内又は工事竣成の時までに限つたのは、本来侵害によつて占有を取得したとしても、工事着手後相当期間を経過し、又はその工事竣成後は工事目的物の占有者が占有しているとのあらたな事実上の支配状態が生じ、それ自体保護すべき理由のあること、及び、工事着手後相当期間を経過し又はその竣成後にその撤去をすれば社会的、経済的に損失が大であり、右妨害排除によつて保持すべき一応の事実状態の保護との間に権衡を缺くと考えられることに基づく。したがつて、ここにいう工事とはその立法の趣旨に従つてある程度の費用、学力、日時を要する相当規模のものをいうと解すべきことはおのずから明らかである。

しかるに本件において、上告人の看板及びその取付工事は前記程度のもので、そのことによつて侵奪した建物占有部分は、被上告人が占有する本件建物A部分中その余の部分と比較し極めて小部分であり、前記看板の撤去はその取付工事の規模からしても極めて容易で、取外し後も余りその価値を減ずることなく他の場所に使用することができるものとみられ、取外しによる経済的損失が大でこれにより回復すべき被上告人の占有の保護との権衡を失するほどのものであるとはいえないことが明らかである。したがつて、前記説示のとおり、上告人のした看板取付は言葉の意味として工事というに妨げないとしても、民法二〇一条にいう工事にはあたらないものというべきであり、これと同旨の見解のもとに右看板取付の完了した後に提起された本件占有保持の訴を適法とする原判決の判断は正当であり、論旨は理由がない。

第二点について

上告理由その一は、被上告人が本件建物A部分を賃借する以前から旧看板が係争場所に存在していた旨述べる第一審証人孫仁堅の証言を原審が採用しないのは、採証法則の違背であるという。原判決によると、直接その点の採否及び理由の説示はなく、単に、右証言のような事実を認めるに足る証拠はない旨説示している。右証言に述べる事実は間接事実ではあるが、本件ではその存否が比較的重要な意味をもつので、その採否、理由について原判決は説示をすべきであつたけれども、一件記録によると、その反対事実に沿う証拠も存在し、その挙示する証拠によれば右旧看板は本件看板取付の以前に撤去されていることが認められ、結論において、右のような間接事実を認められる証拠がなく、被上告人の占有が右旧看板部分以外に制限されるとすることを認めえないとした原審の判断は正当として肯認することができ、何ら採証法則の違背は存在しない。論旨は採用しない。

上告理由その二は、原審が被上告人の本件建物A部分の占有がその外壁の看板設置部分にまで及ばないとみるべき特段の事情に関する証人菊地豊子を尋問しなかつた審理不尽の違法があるという。しかし、一件記録によると、原審では右の事情に関しても証人斉藤昇を尋問しているばかりでなく、これと第一審の各証拠調の結果からみて、本件ではそのような特段の事情が存在しないことが証明されており、それ以上の証拠調を必要としないから、原審が証人菊地豊子を尋問しなかつたことは何ら審理不尽にはあたらない。論旨はひつきよう原審の専権に属する証拠の取捨選択を非難するかその認定しない事実を前提として独自の主張を試みんとするものであつて採用し難い。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条により、主文のとおり判決する。

(浅沼武 加藤宏 高木積夫)

〔上告理由書〕

第一点、原判決は法令の解釈適用を誤つた結果「判決に影響を及ぼすこと明かなる法令の違背」を犯しているので、破棄を免れない。

一、原判決は民法第二〇一条一項但書にいう「工事」とは相当な費用、労力及びある程度の日時を要する規模のものを指称するものと解すべきであるとしているが、之は誤りである。

二、民法第二〇一条一項但書の趣旨は、工事による占有の妨害を停止させることはかえつて工事取こわしの結果生ずる損害が通常大きいことに鑑みたこと(川島武宜民法Ⅰ総論・物権一一九頁)だけではなく、工事による状態はたとい元来は占有を侵害して生じたものであつても、比較的速やかに新たな社会状態と認められるに至るからである(我妻栄民法講義Ⅱ三四五頁)。

三、原判決の如く本件工事の場合を同条項但書にいう工事に当らないと解釈するならば、この場合占有のみに基づきいつまでも妨害排除請求が許されることになり妥当ではない。

四、よつて同条項但書にいう「工事」とは、いやしくも工事とみるべきものである限り、一切を包含するものと解釈すべきものである。勿論、同条項本文の出訴期間は占有訴権だけに関するものであつて他の本権に基づいて請求できるかは別問題であつて、本権を有しない者に対する保護としては格別不都合はない(註釈民法第七巻一九六頁)。

五、しかるに原判決が本件につき同条項但書の適用を否定したのは、法律の解釈適用を誤つたものであつて、右法律の解釈適用の誤りは判決に影響を及ぼすこと明らかであるといわなければならない。

第二点、〈以下省略〉

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